2000年代後半から2010年代前半にかけて、ロシアでジョージアのミネラルウォーターとワインの禁輸政策がありました。
当時モスクワに滞在していてロシア側からしかその出来事をみることがなかったので、ジョージア側ではどのような状況だったのか?ジョージア人はどんな気持ちでいたのか?とずっと気になっていたので、機会があれば聞くようにしています。
ソ連時代はワイン供給国として機能していたジョージア(当時はグルジア)だったので、さぞかし大変だったろう・・・と思いきや、どうだったんですか?との問いに返ってくる答えは「ああ、戦争があったからねえ」というなんとも拍子抜けするような回答ばかり。
コーカサスという複雑な土地で生き延びてきた人たちは、かくも逞しく生きてきたということでしょうか。。